2012.03.05
当研究所のInternational Senior Fellowであるジェフリー・ブライスウェイト(Jeffrey Braithwaite)の論文"Seven billion-health"を、当研究所研究主幹 松山幸弘の翻訳にて掲載する。
2012.03.05
当研究所のInternational Senior Fellowであるジェフリー・ブライスウェイト(Jeffrey Braithwaite)の論文"Seven billion-health"を、当研究所研究主幹 松山幸弘の翻訳にて掲載する。
人口時計が70億人超えを刻んだ。しかし、それはあなた方が聞くことのできる単なるカチッという音以上のものである。それは、あなた方の頭の中で大きく鳴り響く警鐘なのだ。あるいはそうでなければならない。
世界の人口は、人類史上のほとんどの期間において、ゆっくりと増えてきた。世界の人口が1800年頃に10億人に達するのに200万年かかっている。これは、1年間に増える人口がその間約500人であった計算になる。信じられないことに、70億人に達する最後の10億人の人口増に要した時間は、12年間にすぎない。これは毎年平均8,300万人も人口が増えていることを意味し、その人口増加の速度は最初の10億人の時に比べて16万6,667倍なのである。
このような人口増の急激な加速は、近代医療、農業、産業化における進歩の貢献によるところが大きい。それには、大量の食糧の生産・製造が可能になったことも含まれている。ほんの一世紀前までは、多くの人々が40歳になる前に死んでいた。しかし、今ではほとんどの人々が40歳前に死ぬということがなくなった。人類は、寿命を延ばし、従来治療できなかった病気を予防し治し管理するためのノウハウや資源を有している。
しかし、我々は、我々自身の成功の犠牲者になってしまう重大なリスクに直面している。そのような進歩が火に油を注ぐこととなった人口増加が、今や人類の未来に無数の脅威をもたらしているのだ。それは、子孫作りから導かれた災害と言えるかもしれない。
どのようにしたら我々はこれほどまでに膨大な人数に対応し持続可能で健康な惑星を保つことができるのであろうか?我々はこのような事態に突然驚かせられたわけではない。我々は何十年もの間この問題が到来することを見続けてきた。しかし、事なかれ主義者のごとく問題を無視してきたのだ。今や我々は再起することが困難になる分岐点に限りなく近づいている。それは、環境の悪化、資源の急速な減少、世界の富の不公平な配分、食べさせなければならない人間の過剰などによってもたらされたものだ。行動することに失敗し続けることは、怠慢であり、有害で、正に愚かなことにほかならない。 私の専門領域は、医療サービスの提供である。世界の中で、栄養過多で富める国々が直面している挑戦は、貧困と闘っている多くの国々の苦境とは共通点がないように見えるかも知れない。世界の富める国々と貧しい国々の間の格差は拡大している。そのため、一部の国々で個人の健康を向上させ福祉をもたらしている近代医療の潜在力と、それ以外の国々において人々を衰弱させる病気、貧困、飢えという三重苦の現実との間の溝も拡大している。しかし、全ての国々が急速な人口増加と人口構成の変化によって脅威にさらされているのだ。
片側性の頭痛の原因
先進諸国
先進諸国においては、近年大きく伸びた平均寿命が、技術的、生物学的限界が近づいてきた結果、横ばいになるかも知れない。長寿を楽しんでいる人々は、ますます慢性病を持つようになっている。高齢化が進むということは、痴ほう症、癌、心疾患、骸骨のように痩せる状態の患者が増えることを意味する。端的に言えば、高齢者は消耗するものなのだ。高齢者の中でそのような人々がますます増えている。彼らは全て世話を必要としている。それでは誰がそのケアを提供するのだろうか?誰がお金を出すのであろうか?
同時に我々は生活習慣病という新しい疾患に直面している。これは満たされていることの結果である。一つ例を挙げてみよう。世界中で今や10億人以上の大人たちと2,200万人の5歳以下児童が肥満である。肥満はその人の寿命を8年から10年縮めるし、肥満に関係の深い慢性病の問題が、我々の医療のインフラストラクチャーに巨額のコスト負担を強いることになる。肥満の格差も非常に大きく、中国、日本、多くのアフリカ諸国では肥満率が5%未満であるのに対して、サモアの都市部では75%を超えている。アメリカ人とオーストラリア人の約60%が体重過多もしくは肥満である。1997年にWHO世界保健機構が肥満をグローバル疾患と認定した。
これに対応するため、我々の近代医療システムは奮闘している。生活習慣病の原因には肥満だけではなく薬物中毒、喫煙、飲酒、運動不足といったことがあげられるが、生活習慣病に対処するためのコストは巨額であり、国民医療費をGDPの10%にまで押し上げ、一部の国々ではその割合がもっと高くなるという事態にある。急性期ケアと高齢者ケアの両セクターの需要が拡大し圧力になっており、いずれもその有効性があるべき姿になっていない。高齢患者が病院のベッドを占領し、医療従事者たちが合併症と呼んでいる同時に複数の疾患で苦しむ状態に陥っている。少なくとも10人に一人の患者が近代的病院で危ない出来事に遭遇し、ある種医療が原因の疾患の被害者になっている。
敷設と転倒、背中の痛み
発展途上国
恐ろしいことに、それは最悪のことではない。低所得の国々では、唖然とすることに、未だほとんどの人々が生きるための基本条件を確保するために闘っている。多くの人々が、合理的な医療、安全な水の供給、効果的な衛生といった点で公平な扱いを受けることができていない。
世界の人口の半分は、必死に働いても貧乏だし、1日あたり2ドル50セント以下しか稼ぐことができていない。約2万7,000人の子供たちが貧困のために死んでいるが、表面化していない。この2万7,000人というのは、年間ではなく、一か月あたりでも一週間あたりでもなく、毎日のことなのだ。つまり、3秒間に一人死んでいるのだ。我々の大部分は、そんなことに気付いていない。本稿を読み続ける前に1分間休憩してもらいたい。その1分間に、第三世界では20人の子供たちが防ぐことのできる病気や飢餓のために死んでいくのだ。
世界人口予測によれば、2050年までの人口増加の97.
女性の坐骨神経痛5%は発展途上国によるものである。このトレンドは、持てる国々と持たない国々の間の健康格差をさらに拡大するものに他ならない。今日、発展途上国は、世界人口の84%を占め、病気の負担の90%を背負っている。しかし、世界の医療費に占める割合は12%にすぎない。それ故に、ほとんど不可避的に更なる貧困、不公平、死が発展途上国を待ち構えている。
必要なのは全ての人、とりわけ女性への教育だ
理想の世界では、良い医療と福祉を受ける諸条件へのアクセスが他人より優れより高い質の生活を享受している人々は少なくなるであろう。
人口モデルの示唆によれば、現実は、人口のピークである90億人もしくはそれ以上の人口に向かいつつ逆の方向に進んでいる。そしてその間ずっと貧しく不利におかれた人々は貧困と不利の状態のままであり、あるいはさらに後退を余儀なくされることになる。
しかし、我々が人口増加を抑制しようとする方法には、不人気なものから冷酷なまでに実施困難なものまで色々とある。
一人っ子政策を考えてみよう。中国当局の推計によれば4億人の誕生を防ぐことができた。政府に子作りをコントロールする権限があるのかないのかという倫理上の難問は無視することにしても、また、その政策により何百万人もの男性が配偶者を得ることが困難となり自殺率や罹患率が上昇するという有害な社会的結果を脇に置くとしても、それが医療システムに与えた意味とは何だったのか?
一人っ子政策は、強制的で目標管理された堕胎と女児の間引きにリンクされてきた。地域にもよるが、中国では、女児100人に対して男児113人となっている。これは、生まれてくる子供の性別を超音波技術で安価に識別できるようになり、息子を選好する家族の願いをかなえていることが主因である。これは道徳に反している。しかし、中国は今や「4対2対1」問題に直面している。一人の子供が、夫婦双方の両親と4組の祖父母の面倒を見る責任があるのである。また高齢世代は、ある程度の政府の支援、公費で支えられる医療制度に対する費用の支援を必要としている。そして、中国の高齢化が進む膨大な人口にケアを提供する医療専門人材は、一体どこからやってくるのであろうか?
すなわち、強制的な人口コントロールは解決策ではないのだ。それは人権侵害であり、新たな問題を惹起する。しかし、代替策はあるのだろうか?
今日までの経験によれば、医療システムがとりわけ女性に対するより良い教育と避妊へのアクセスの組み合わせを提供した時に、人口増加が自発的にペースダウンする。必要があれば医療による堕胎も容認されるが、しかし、それは女性の胎児を中絶して息子を選好することを支援する手段にしてはならない。
直感とは相反するかもしれないが、このような努力にも関わらず、貧困と粗末な医療が人口増加を後押しする重要なファクターであり続けている。両親が自分たちの子どもが成人となるまでサバイバルできるであろうと確信できるようになるまで、大家族志向は続くと思われる。とりわけ、彼ら自身の老後におけるケアが生き残り成人となった子供たちに全面的に依存している場合、そうなる。
このことは、クリエイティブな方策が求められていることを意味している。しかし、その方策は明白ではないし簡単でもない。また、我々は、中国のように意図せざる結果を生み出すようなことをしてはならない。本質的には、我々は地球レベルでの協調による人口管理戦略を必要としている。その戦略は、強制ではなく知識に基づいたものでなければならず、十分な資金援助があり、政府や宗教団体ではなく医療の専門家たちによって導かれたものでなければならない。
我々が最優先で必要としているのは、真に大きな啓蒙キャンペーンである。それは、非常にマーケティング力に優れた人々によってデザインされ、ベストアドバイスを提供するものでなければならない。我々は、未曾有の困難、すなわち世界中の人々の行動を変えて子供の数を減らすか子供を持たないように人々を説得することに取り組む必要があるのだ。それは、富める国々には重要なことだが、発展途上国にとっても極めて重大な問題だ。文字通り、何百万人もの人々の命がそのことにかかっている。
オーストラリアはどうなのか?
オーストラリア自身について考察してみると、我々は地球上で最も乾燥した大陸にあり、人口増はオーストラリアにとって最も不足している資源である水がさらに枯渇することを意味する。オーストラリアはまた、世界の他の地域が必要としている物資が豊富である幸運な国としても有名である。しかし、それらの資源は何時かある日無くなるのであり、それらが何時頃枯渇するのかという計画がない。
オーストラリアが排出してきた炭素は、相対的に人口が少ない国々と比べてあまりにも膨大である。人口が多いほど環境に与える負荷が大きいと考えられる。国の気候・健康に関するモデルによれば、オーストラリアは、既に胃腸炎患者が80万人増加することに直面しており、21世紀中頃から暑さを理由とする死亡者が数万人規模で急増することや、蚊が媒介する重篤な疾患であるデング熱が南下してくるという重大な変化が予想されている。
オーストラリアの高齢人口のトレンドは、2025年までに高齢者ケアの担い手が百万人必要になることを示唆している。我々はどうやってその財源を確保するのか?誰がその仕事をするのか?高齢者ケアより収入が多く負担の軽い仕事が経済の他の部門に現われるのだろうか?そうなった場合、高齢者ケアの仕事をより魅力的にすることがすぐに思いつく回答だ。しかし、高齢者のケア担当者たちへの依存度を低くすることの方が、より持続性のある解決方法と思われる。
もし人口という時限爆弾の信管を抜き取ることに成功したとするならば、そのことが数世代にわたり及ぼす効果は、単に勇気付けること以上のものである。
我々が、そしてより重要なことには、我々の子供たちや孫たちが、よりクリーンな空気、よりよい環境、代替のきかない物資のより大きな備蓄、を享受できることになるだろう。急増する高齢者や慢性病患者にケアを提供するために、天然資源、安い労働力、医療専門人材を確保することを目指してオーストラリアや第一世界の他の国々が第三世界を攻撃しているのを見ることも減るであろう。
それでは我々は各々何をなすべきか?
我々の人口の水準は、我々の健康に深いインパクトを与えているのだ。全ての国々の医療システムは、増加する人口に対応し効率的で効果的なヘルスケアを提供するために、エビデンスに基づいた研究を活用しながら改善されねばならない。それが何処でも、また公平に行われる必要がある。このことは、地球上のリーダー、政策立案者、医療専門家、消費者たちの責任である。
そしてあなた方や私の責任でもあるのだ。人口増加を減速させ、それにより人間の健康を向上させ、その健康向上をサポートする医療システムを改善することを一つの首尾一貫した調和のとれたパッケージとして実現することを、富める国々でも貧しい国々でも約束し行動を起こす形で確実に達成できるのであろうか?
我々は、これを達成するためには新しい社会運動を組成する必要がある。私見によれば、我々は、アップル社のマーケティングの抜け目のない滑らかさ、ガンジーが示したインド独立の忍耐、米国の市民権運動の決意、アラブの春で醸成された熱烈さのコンビネーションを必要としている。
実のところ、これが全てなのだ。我々全員が、人口増加を減速させ健康や医療システムを向上することに依存している。我々誰もがである。代替策などない。現在の人口増加率のまま進んだとしたら、不可避的に枯渇し不健康な地球になるのであり、そのような地球は我々を支えてはくれない。
そうなると、人類が誕生してから200万年を経たのち、今までにない大変革の結果を迎えることになるであろう。人類の退場、すなわち人口問題に対するドラスティクな解決策である。
そんな事態になるくらいなら、私は、むしろ枯渇により発展途上国において良好な状態で生きている人口が大きく減ったり、先進諸国で肥満、運動不足、動脈硬化、不健康なライフスタイルで生きている人口が大幅減少することの方を我慢することとしたい。加えて、我々は、富のより公平な分配を国際的に確保することにコミットできるはずである。そうした上で、我々は、裕福な人々だけではなく全ての地域の人々に対して、質が良く負担可能な医療を提供すべきである。
そうすれば、皆さんの頭の中の警鐘が鳴り止むことになるであろう。これこそが、我々が自分たちの仲間である人類に与えることのできる最善の人道主義の贈り物なのである。
筆者紹介
ジェフリー・ブライスウェイト (Jeffrey Braithwaite)
オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学医学部・医療イノベーション研究所理事長兼教授。
ジェフリー・ブライスウェイト教授は、医療サービス組織研究の第一人者として国際的名声を得ている。その研究活動領域は、急性期ケア施設のカルチャーや構造、医療事業体における経営管理とその変遷、医療の質と安全に関する調査、諸外国の状況に関わる論文審査や調査プロセスへの貢献、医療サービスの構造改革に関する研究に及んでいる。経営管理とリーダーシップの概念並びにエビデンスを臨床領域の研究に応用したことで知られ、ケアに対する組織的、社会的、チーム的アプローチに関する非常に多くの文献作成に貢献。審査した研究論文は250を超え、発表論文数も400に及んでいる。これらの研究成果の重要性はオーストラリア国内外で高まってきている。国内外の会議、ワークショップ、シンポジウム等での講演は400回� �超え、同教授の研究調査を前提とした理論は、今や共通認識となっている。
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